今年は、異常気象現象とかつてない規模の自然災害が世界各地で発生した。国際的なSDGsの13番目「気候変動対策」から、目を背けてはならないと強く感じる。
注目を集めているのはCO2を始めとする温室効果ガスである。いま社会は、人為的に排出されるCO2の量を削減し、森林などが吸収するCO2の量との間で均衡が取れた「カーボンニュートラル」をめざしている。
一方、フッ素と炭素の化合物「フロン」は、温室効果ガスの中で日本ではあまり話題にのぼらない。しかし、喘息やCOPDなどの患者さんや我々呼吸器内科医にとっては、フロン対策が世界的に大きな問題となっている。
フロンは、きわめて安定で人体への毒性が低いことから、これまでエアコンや冷蔵庫の冷媒、エアゾール吸入器(pMDI)の噴射剤などの様々な用途に活用されてきた。
しかし、有害な紫外線を吸収するオゾン層を一部のフロンが破壊してしまうため、1987年のモントリオール議定書から世界的な規制が始まり、オゾン層の破壊効果のない代替フロンであるHFC(HFC-134aとHFC-227ea)がpMDIに広く使われるようになった歴史がある。
さらに、フロン自体が二酸化炭素の数百〜1万倍以上の高い温室効果をもつため、HFCも削減対象に追加され、フッ素系温室効果ガス(Fガス)規制の対象となっている。そこで、地球温暖化効果が非常に低いHFO-1234ze(E)が、新たな噴射剤として開発中である。
ここで問題となっているのは、EU(欧州化学物質庁、ECHA)が、有機フッ素化合物(PFAS)規制案1)Annex XV reportを公開したことだ。
そこでは、上記3つのpMDI噴射剤すべてが全面的な禁止措置の対象になっている。pMDIに使用しているHFC-134aやHFC-227ea、さらに地球温暖化効果の低いHFO-1234ze(E)もである。それも、移行期間はわずか18ヶ月で。
驚くべきは、このニュースが重要性をもって全く報道されないことである。
吸入薬で命を繋いでいる喘息患者だけでも、世界で2億6000万人を超えるというのに2)。日本だけでも、治療を受けている喘息患者数は100万人に迫っている3)。
まず優先されるべきことは、吸入器を患者に届けることである。PFAS規制案には、広く意見を募るpublic consultationsを募集していたので、喘息の国際指針GINAでは、以下の様な意見を提出した:
GINAでは、以上の意見の原案となるF-ガス規制に対するコメントをLancetに投稿し、掲載されている4)。
日本では、喘息やCOPDの治療に用いる吸入薬は、pMDIよりもDPIが主流である。小児や高齢の患者さんや発作時にはどうしてもpMDIが必要となる。
PFASの規制案はヨーロッパのことなので、日本では対岸の火事と考えてしまいがちである。しかし、日本も含めて、世界的にpMDIを製造している製薬メーカーのほとんどは、本社がヨーロッパにあるため、その火の粉は日本にも飛んで来る。我々の周辺でも、近々pMDI吸入薬がなくなる可能性があるのだ。
太陽光や風力を利用した再生可能エネルギーの導入は着実に進んでいる。これまでのフロン規制の甲斐あってか、オゾン層の破壊は回復傾向とのこと。決して未来は暗くない。
乱暴な言い方をすれば、pMDI = フロンガスとする見解が誤っていると考える。我々がまず尽力すべきは、患者さんが吸入薬を利用できる環境を確保することなのだ。
GINAが発信しているPFAS規制に対する例外的な緩和要請。自由市場の擁護のため、地球温暖化への懐疑論を唱えた気候物理学者Fred Singerとは全く異なるものと信じている。
温暖化対策のためフロンを全面禁止するか、例外的に吸入器の確保か。
未来に試されている。
DPI, dry-powder inhalers ドライパウダー定量吸入器
HFC, Hydrofluorocarbons 人工の有機化合物であるハイドロフルオロカーボン
PFAS, per- and poly-fluoroalkyl substances パーフルオロアルキル化合物およびポリフルオロアルキル化合物
pMDI, pressurised metered-dose inhaler 加圧噴霧式定量吸入器
SDGs, Sustainable Development Goals 2015年に国連で採択された持続可能な開発目標