お知らせ

  井形昭弘先生が平成28年8月12日にご逝去されました 。

  井形先生は鹿児島大学第三内科の初代教授であり、創設者であられます。いつも、温
かい言葉をかけてくださり、褒めることで応援してくださる太陽のような先生であり
ました。遠く離れていても、当科のことを本当に思ってくださり、本当に細かなとこ
ろまでお気遣いくださる方でもありました。近年では、人類初の古細菌の感染症やC
MT病の原因の発見を報告することができ、その時も一番に喜んでくださったことが
思い出されます。

  これまで350名を超える医師が、当科で学び、出身者が医学部の教授だけでも20名
以上となり、それぞれが井形先生の教えを胸に日々働いていることと思います。

  ある意味、神様のような存在の井形先生がお亡くなりになられた事は私どもにとっ
ては、大変な悲しみであります。ここに井形先生の御足跡を紹介し、私の追悼とさせ
ていただきます。

  井形昭弘先生が私どもの教室の教室訓としておっしゃられていたことがあります。

1. 患者の病を治すことが医の原点である

2. 原因のない病気はない、原因を見つける努力をせよ

3. 限りなくローカルなことを限りなくインターナショナルヘ、という3つの教えで
す。

  とにかく患者さんの病気を治すため、昼夜を問わず患者さんの病気とその原因を考
えなさい。そして治すのに全力をつくしなさい。その文字通りそのような事なんです
が、それを第2代の教授の納光弘先生に、完全に引き継いでおられ、HAM(HTL
V-I関連脊髄症)以降の様々な発見につながっていくことになります。

  鹿児島大学神経内科由来の疾患確立や原因解明、治療法確立などの卓越したブレイ
クスルーだけでも、HAMのみならず、トロンボモジュリン(リコモジュリン)の製
剤化、ミトコンドリア病MELAS(MELAB)の最初の報告、HMSN-Pの疾
患概念の確立,Ullrich病の原因発見、新しいミトコンドリア病MIMECK、傍脊
柱筋萎縮症の原因究明、クロゥ・深瀬症候群の病態解明、アイザックス症候群の解
明、DHH遺伝子異常による新しいニューロパチー発見、CMT2Tの原因MME発
見、古細菌による脳脊髄炎の発見と治療法確立、そのほか、多数の遺伝性ニューロパ
チーの原因発見と命名をするなどの成果が上がっています。

  これらの全く新しい、教科書を書き換えるような発見は、ほぼすべてがベッドサイ
ドから生み出されたものであり、”原因のない病気はない、原因を見つける努力をせ
よ”ということを実践したにすぎません。それらを井形先生門下のドクターたちが実
践していくということであります。

  その井形先生は鹿児島大学に赴任される前に、東京大学神経内科においてSMON
(亜急性脊髄視神経ニューロパチー)の解明に尽力されました。SMON(スモン)
という病気は当時、原因不明であり、下痢などを伴い、その後、視力障害のみならず
全身の神経が障害され、歩行障害まで引き起こす大変重篤な疾患で、全国に多発し、
大変な社会問題になりました。ある研究グループからはウイルス説が発表され、これ
は感染症で家族にうつる疾患だということで、自殺が相次いだとのことです。しか
し、井形先生は感染症ではないということを見抜いて原因究明に力を尽くされた結果
キノホルムという薬剤の中毒ということが判明しました。その当時は、医師が製薬
メーカーに立ち向かうというのもあまりなかったそうですが、販売中止により、疾患
の発生がなくなり解明されています。

  そのSMON研究の成果により当時の田中角栄首相が国が研究班をつくり研究費をつ
ければ難病も治るのだなということで、それから難治性疾患克服研究事業が発足した
ということです。

  井形先生はスモンの原因についておおよその結論が出たところで、1971年、鹿児島大
学の内科の教授、新設の第3内科教授に就任にされました。当時井形先生は42歳で、
鹿児島に永住するつもりでお越しになられました。実際にそれからは、常に鹿児島の
ことを最重要に考えておられました。

  鹿児島大学においては第二代教授の納光弘先生と共に、HAMの疾患概念の確立や治
療法の開発、などに尽力されました。今でも、膠原病や多発性硬化症などの慢性の炎
症性疾患の原因は不明なものがほとんどですが、HTLV-Iウイルス感染が、直接
の浸潤でなく、リンパ球を狂わせて、脊髄に炎症を起こしているという画期的な疾患
発症機序の発見は、ノーベル賞級かと思うほどです。その結果、野口英世記念医学賞
を受賞されるとともに、国際的にも高い研究成果となりました。

  鹿児島大学病院長のときには、全国に先駆けて病院のIT化、コンピューターの導入
を積極的に行われました。当時は、コンピューターが苦手な医師たちを説得するの
に、とくに努力されたということです。その後1987年には,鹿児島大学の学長に選ば
れました。そのときにも、限りなくローカルなことを限りなくインターナショナルヘ
ということで、地域の大学としての特色をのばしていかれました。いろんな形の各学
部の意見を摘み取っていい形にまとめられるという、井形先生のお人柄によるものと
思います。その他にも鹿児島大学の学長時代には屋久島の自然保護にも関わられ、そ
の後も長期にわたり、屋久島とは屋久島環境文化財団の理事をされ、屋久島の自然を
愛しておられました。

  学長の任期が切れた際に、国立長寿医療センターが愛知県に作られることとなり、そ
の準備として、同センターの開設に携わることになられました。

  国立長寿医療センターでは、当初、国立療養所中部病院に研究所を併設の形で出発
しましたのでその病院長としてセンターの設計に取り組み、その後に国立がんセン
ターや循環器センターとならぶナショナルセンターとして、長寿医療センターが活躍
していくことになります。次に、井形先生は、あいち健康の森健康科学総合センター
(あいち健康プラザ)の開設に参画され、そこでは、加齢とともにおこってくる、動
脈硬化や高血圧などの生活習慣病に対して、医療のみならず、規則正しい生活、バラ
ンスの良い食事、適度な運動、禁煙、ストレス管理など生活の工夫により、長寿が実
現できると、その啓蒙活動を積極的におこなわれました。

  2000年、介護保険がスタートしました。長寿社会の創造にも関心を持つようにとい
う厚生労働省からの要請を受け、長寿社会へ向けて日本の新しいサービスを考える必
要があると、介護保険という医療保険とは別の全く新しいサービスを計画されまし
た。大変困難も多かったということですが、介護保険は現在なくてはならないものと
なっています。

  2002年、愛知県に創設された名古屋学芸大の学長にご就任されました。名古屋学芸
大学ではメディア、映像、デザイン、ファッション、幼児教育などの、本当に世の中
が必要としている人材を次々に送り出されました。常に高い就職率を維持するなど、
大変素晴らしい大学となっています。現在も名古屋学芸大学の大学長をしておられま
すので、今回のことは、名古屋学芸大学にとっては、大変な悲しみとなっているとお
聞きしております。

  2002年に、井形先生は、奥様を亡くされており、それ以降、講演などでは、ご自身
を独居老人と呼んでおられました。今回、奥様のところに行くことができたというこ
とになろうかと思います。名古屋では、尊厳死運動に関係することになられて、奥様
と二人でリビングウィル生前の意思表示をされていたということです。その後も、先
生は尊厳死協会の会長としてリビングウィルという考え方を定着するように努力され
ました。人の尊厳死に至る過程を選ぶ権利、自己決定権が尊重されるべきだと教えて
おられました。患者に苦痛を強要し、尊厳ある生をおかす場面が多く見られるように
なったということをとても危惧され、安らかで美しい最期を迎えたいという人の思い
を叶えるべきではないかと、そのようにおっしゃっております。どこまでも、同じ目
線で、患者さんを大切に考える先生であられました。

  そして井形先生の近年のご講演では、 未来の長寿社会を我々が創造していかなけ
ればならないとおっしゃっておられました。長寿社会というのは暗いイメージです
が、明るいイメージの長寿社会を目指したい。それは、単に高齢化率が上がるという
事象とは別に、高齢者が元気でありさえすれば、円熟した豊富な経験を持つ高齢者は
社会にとって絶対にプラスになるはず。 元気な高齢者として社会に役立ち、しかし
病気になったら苦痛は十分とるが無意味な延命はせず、尊厳死を提示するというよう
に、人の生き方について様々な提言をなさっておられます。皆がハッピーになる、健
やかな人生を作っていこうというように思っておられました。

  井形先生は平成28年の8月12日にお亡くなりになられましたが、現役の名古屋学芸
大学の学長であられ、全国各地での講演も苦も無くこなされるなど極めて精力的に活
動をしておられました。9月3日に井形先生の米寿の記念を、鹿児島で大々的にやる事
になっておりましたが、それが叶わず非常に残念であります。しかしちょうど奥様が
亡くなられたのと同じ8月のお盆に、しかも心臓の病気で数時間でお亡くなりになら
れ、井形先生がおっしゃっていたピンピンコロリという、ほとんど看病、介護を受け
ることなくこの世を後にされました。お父様と同じだとお聞きしています。

  私たち 鹿児島大学第三内科(神経内科・老年病学講座)では、井形先生のご意思
を引き継ぎ、同じ目線で患者と向き合い、一人一人の病気の原因をどこまでも突き止
め、そして治療に結びつけるということを、これまで同様、これからもおこなってい
きたいと思います。

  井形先生のご冥福をお祈りしたいと思います。

鹿児島大学 神経内科・老年病学講座 教授   髙嶋 博

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