沿革


大正12年5月
精神病院法第1条の規定により、当時の県立鹿児島病院において精神神経科外来が開設。
大正13年3月
鹿児島郡中郡宇村字手掛(現鹿児島市宇宿町)に精神科分院が設置される。
(初代精神科部長:大沢宏、第2代精神科部長:新名栄造)
昭和6年12月
鹿児島病院分院が分離独立。県立鹿児島保養院と改称され、神経精神科を標榜して診療を継続。
昭和18年2月
姶良郡重富村平松(現姶良市平松)に移転。
※同院は現在、県立姶良病院として存続。存続する公立施設としては都立松沢病院に次ぐ歴史を有す。
昭和20年6月
県立鹿児島保養院の第3代部長佐藤幹正が、鹿児島医学専門学校において、神経病学および精神医学の講義を開始。
昭和24年9月
佐藤幹正が教授に就任。
昭和24年10月
神経精神医学教室が開設される。
昭和31年4月
鹿児島大学移管とともに完全講座となる。
昭和41年2月
精神科病棟が付設される。
昭和43年3月
佐藤幹正教授が退官。
昭和43年11月
第2代教授として松本啓が大阪市立大学より赴任。
昭和49年9月
医学部の移転に伴い、3階東病棟が新設される。
平成6年3月
松本啓教授が退官。
平成6年8月
第3代教授として滝川守国が就任。
平成14年3月
滝川守国教授が退官。
平成14年4月
神経精神医学教室から精神神経医学講座へ講座名が変更となる。
平成14年9月
第4代教授として佐野輝が愛媛大学より赴任。
平成15年4月
鹿児島大学医学部の大学院部局化に伴い、部署名が変更。
『鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科 健康科学専攻 社会・行動医学講座 精神機能病学分野』に。
平成26年12月
病棟がC棟2階病棟に移転。
平成31年4月
佐野輝教授が鹿児島大学長就任に伴い退任。
令和2年4月
第5代教授として中村雅之が就任。